My Way Of Thinking

私の思想を公開しています。

菜食は経済活動である~体力=経済資源~

こんにちは。

関 貴仁です。

前回のエントリーで菜食について綴ったのですが

今日はそのエントリーに付随するテーマである

「菜食は経済活動である」

という概念および生存戦略についてお話したいと思います。

 

 

先のエントリーにも書きましたが

今現在私は8:00~23:00の間で

13時間×6日間

料理人として労働しています。

 

「バカなの?」

 

と思うかもしれませんが

バカなんです。

 

いや、「バカだった」と言ったほうが正確でしょう。

バカだった私には今、経済的資本となるものが体力しかないのです。

なので肉体労働を介して労働力を

提供し資本を獲得しています。

でもね、裏を返せば体力だけは

人の倍近くあるんです。

 

いや、あるというより意図的に

作り出したんです。

 

前のエントリーをご覧でも書いた通り

菜食者は雑食者よりも遥かに体力的に

優れていると言えます。

その特徴は長時間労働や、長時間の運動などでは顕著に現れます。

 

現にウルトラマラソンの世界記録保持者であるスコット・ジュレク氏

完全菜食主義者です。

彼も言っている通り菜食者は回復が本当に早い。

私も繁忙日は一日4時間半の睡眠で

翌日また13時間の労働を

することもありますが

(睡眠負債は溜まります)

それでも活動量、活動の質が落ちること

はありません。

 

何が言いたいかといいますと

 

体力=資源

 

ということです。

 

「は?」

と思うかもしれませんが。

 

いいでしょうか、この資本主義の社会の中で資源つまりは

リソースがあるということはそれだけで有利つまりアドバンテージがある

ということなんです。

 

例えば僕が従事している飲食業においても労働力というのは

重要な資源です。

なぜなら誰かが働いてくれなければ飲食店は成立しないからです。

なので事業主は労働者に対し賃金を払い労働してもらいます。

これは労働力の仕入れであり、労働者は事業主に対して

労働力を卸しているのです。

ここが重要です。

 

労働力は売れるのです。

 

そして購入者である事業主はその質、および量によって

妥当な仕入れ価格か、検討し購入つまり雇用します。

 

肉体労働であれば知的な質はもちろんのこと、体力的な質も

加味して検討されます。

今の世の中ではホワイトカラーでも同じように体力が求められるでしょう。

 

そこで多くの人は体力を仕入れます。

どうやって?

それこそが「食べる」ということです。

 

食べるというのは資本を獲得していく上で欠かせない重要な要素なのです。

ただこの食べたもの=体力ではないのです。

その過程で発生する消化吸収というプロセスを通して人は

初めて活動エネルギーを得て、そして労働に従事し賃金を獲得し

経済的な自由(可処分所得)を得るのです。

 

つまりこの定義で言いますと

食事をするという行為は重要な

 

「経済活動」

 

に含まれるものであり

 

経営資源の確保・獲得」

 

といえるのです。

 

このプロセスこそ人間が繰り返している経済的なプロセスなのですが

このプロセスにおいて肉食は等価交換(風営法的な意味)ではないというのが

重要なのポイントです。

 

何故なら食肉には多くの消化酵素を必要とし

その消化酵素を体内で生成するには代謝酵素を削らなければならず

代謝酵素を削減するということは活動エネルギー量が

必然的に減る=資源が減るということを意味するのです。

 

 

もしあなたが経済的な自由を手にしていて

何不自由なく人生を謳歌しているのであれば

もはや経済活動をする必要性はなく

好きなものを好きなだけ食べて好きなだけ

消化にも十分な時間を要して活動エネルギーを得れば

いいと思います。

私でもそうします。

 

でもどうでしょう。

昼の食後に数時間寝る時間はありますか?

ありませんよね?

下手したらすぐ活動しなければ

なりませんよね?

そうしたらことさら消化吸収の能力は落ちますし

結果的に活動エネルギーは低下します。

 

活動エネルギーが得られていないのに

活動しなければならないのは

本当に苦痛です。

会社なんて行きたくなくなるに決まっています。

まして消化の阻害となる保存料や難消化性の添加物が加えてあれば

ことさらエネルギーは低下し、行く末はうつ病か引きこもり

もしくは職を辞することとなるでしょう。

 

この方程式で考えていくと日本人がほぼ菜食だったのにも

理由があるのではと考えられます。

日本は今でこそ水産資源が豊富といわれていますが

沖合漁業の距離もそれほど遠くまで行けず輸送手段が

なかった時代は湾内で摂れるイワシや青魚が

メインであったことでしょう。

種類こそ豊富であっても漁獲量としては水産資源と呼べるほどでは

なかったと考えられます。

そんな資源に乏しい日本においてはやはりメインとなるのは

農耕だったと思われます。

水だけはもの凄い量ありますしね。

やったことある方ならわかると思いますが農業って本当に体力を

要します。

田植えなんて今でこそ機械ですが、手でやるとずっと中腰ですし

収穫ともなれば重くはなくとも何度も何度も作物を運搬しなければ

ならず、今考えても相当な労働力です。

それでも江戸時代に日本に来日した外国の人々は皆一様に

日本人が働き者で、なおかつ「異常」に元気であることを

本国に報告しています。

それを支えているのが日本伝統の「菜食」だったのではないでしょうか。

これこそが日本における「資源」だったのではないでしょうか。

 

という余談的な考察をふまえると尚更

「体力=資源」

という概念を理解頂けるのではないでしょうか。

 

多くの人がより多くの、より安定した収入を得るために

受験競争に勝ち抜き、大学に行き、知識を仕入れ、

企業に対し知的資源を有する労働者として労働力を提供し

資本を獲得するために活動していることでしょう。

 

学歴を仕入れるという考え方の人もいますよね。

(私は大学に行ったことがないので詳細は分かりませんが)

 

体力にもこれと同じことが言えるのです。

どちらも立派な生存戦略的プロセスです。

生存に必要なリソースを獲得するという点では

一点の違いもありません。

 

その証拠に私個人の年間収支の利益(貯蓄)は昨年の1.8倍にまで

向上しています。

これを支えているのも今は恣意的に

体力という資源を確保し、提供しているからです。

もちろん、このまま生涯を終えるつもりはありません。

今は売るものが「体力」しかないので体力を資本としてしていますが

現在は知的資本の獲得にもこの体力を割いています。

体力は知的資源への転換も可能にします。

細かいことは省きますが、菜食によって改善されうる腸内環境では

セロトニン量が増え、意識の覚醒レベルが向上し脳が消費する

無駄な思考を削減しやすくなります。

(思考活動エネルギーの5~8割は現実に対応していない思考に使われている)

エネルギーを知的資源の獲得に活用すれば

専門的な知識の獲得によって新たな職に就くことや

また別の事業主に対して労働力を提供することも可能となるでしょう。

現に今、私はFPの資格獲得に向けて勉強しています。

もちろん一日13時間の労働に加えてです。


それでも今ここに書いている通り

思考は明晰で日本語も比較的

自由に扱えていると思います。

これをエビデンスと思ってもらえれば幸いです。

 

前回に引き続き長くなりましたが

菜食が経済的活動を支える

立派な資本であることを

ご理解頂ければ幸いです。



精読ありがとうございました。